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宗教戦争ってなんで起きるんかな、っていつも思うんよ

結局、宗教とはなんなのか、と考えてみると
「何を信じているか」って事になるんだな、と簡単に結論付けてみた。
合ってる合ってないは別物としてね。

キリスト教とかイスラム教とか、よく言われる一神教ってのは
平たく言うと「唯一神」がいるという考え方な訳なんよね。
そう考えると、「あれ?じゃあ、同じ宗教になんじゃね?」となる。

けど、実際には全然違う宗教なのが現実で、
どこが違うのかは信仰者じゃないので詳しく分からないんだけど
ググれば「あ、こういうのが違うんだ」って直ぐに分かる現代社会なので、
それはそれで置いておく。(ユダヤ教も一神教)


何が違うのか、
キリスト教:イエス・キリスト(神の子)が神の教えを説いた
イスラム教:ムハンマド(預言者)が神の言葉を託された
簡単な切り分けだとこうなる。

で、ムハンマドがキリストの後に神の言葉を聞いた(神と一番最後に接したのはムハンマド)から、
キリスト教よりイスラム教のが神の「今」の言葉に近い、という事。



おおざっぱな切り分けなので、詳しい人には怒られる文章だけど、
日本人の一般的な知識だとこんなもんだと思ってください。


こうして見てると、先とか後とかはあるけど、結局神様同じなんやし、
仲良うしてればええやん、と思うのは日本人的考え方なんじゃないかな。
だって、大元の神様同じやもんな。
ま、神様が違っても全部神様でいいじゃん、と言ってしまいそうな自分もいるけどw


けど、違うんよね。
例で出してみると、
私が豆腐を食べているところを豆腐を知らない外国人Aさんが見たとする。
そしたらAさんは母国に帰って「日本人は白いものを食べる」と言う。
そしてAさんの後に私を見た外国人Bさんがいたとする。
その時に私は白米を食べてたとしよう。
するとBさんは豆腐+白米を食べる私を見て、「日本人は白いものしか食べない」と思うかもしれない。
私が「豆腐を食べている」という事柄は同じでも、
見たタイミングによって違う考えが2通り出来るわけだ。

この場合、どちらとも正しい。
しかし、AさんとBさん双方の意見は食い違ってしまう。

それが宗教の違いなんじゃないだろうか。
(豆腐で例を出してなんだが…)


つまりは同じだが、違うという矛盾が生じている事になる。
非常にややこしい。
AさんとBさんが意固地な人だったら殴り合いのケンカになるかもしれない。
ここでAさんとBさんの間に必要なのは、分かり合うこと=妥協と譲歩だ。
しかし、自分が実際に見た事をそう簡単に妥協できるだろうか?
普通はそうそう出来ないよな。
私が「いやいや実はですね」と訂正に入ればいいのだが、入れなければどうなるか。


ほら、何だか宗教戦争の図式に似てないか?



良くも悪くも、妥協と譲歩という名の諦めは日本人の得意技とも言える。
だからこそ日本ではこれだけの様々な宗教が一緒に生存出来るのだろう。
じゃあ、その「妥協と譲歩」が出来なければ分裂、或いは敵対しか道はない。
互いに関与しなければ全く問題は生じないのだが、関与すれば問題が生じるのは当然だ。
どこで関与するのかは言わないが、世界は関与するものだ。
だから考えの食い違いは大きな諍いの種になる。
「争いの連鎖を断ち切る」というのは非常に日本人的考えで、
それを海外に押し付けてしまう事は、それもまた諍いの種になる。
結局はメビウスの輪だ。

宗教戦争はなぜ起きるのか、その答えに対し、私が現状で言えることは
人間が人間である限り、宗教戦争が起きるのは必然であり仕方のない事である、というだけだ。
なんともお粗末で解決策のない考えだが、今の私の脳ではこれが限界なのですよ。
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テーマ : 独り言
ジャンル : その他

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